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島津尚久
(しまづ なおひさ) 1531〜1562
忠良の三男で相州島津氏を嗣ぐ。薩摩鹿籠(かご)領主。幼名兼安丸、通称は又五郎、左兵衛尉を称す。貴久の弟で義久・義弘の叔父。天文二十三年の岩剣城攻めでの活躍をはじめ、永禄二年の松山城救援戦などでも軍功をあげた。肝付氏との廻城合戦の後に病を得て、永禄五年三月一日に没した。
写真は加世田市の竹田神社(常潤院跡)にある尚久の墓。
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