☆関連武将☆ 井伊直政(いい なおまさ) 1561〜1602 直親の子。幼名万千代、天正三年に徳川家康に近侍として仕えて以来数々の戦功を挙げ、徳川四天王の一人として称された。武勇に秀で「井伊の赤備え」と聞くと敵はみな戦慄したという。関ヶ原では西軍・島津義弘の退却時にその殿(しんがり)を務めた島津豊久を討ち取ったが鉄砲で撃たれ負傷。戦後近江佐和山城十八万石を領すが、慶長七年二月に合戦の傷が原因で死去した。享年四十二歳。 写真は滋賀県彦根市の清涼寺(井伊家菩提寺)にある直政の墓で、法名は「祥寿院清涼泰安」。 ※清涼寺は一般公開していません。この画像は特に清涼寺様に撮影許可を頂いた上で掲載しています。 |