鍋島直茂の墓

☆関連武将☆

鍋島直茂(なべしま なおしげ) 1538〜1618

清房の子で後の肥前佐嘉藩祖。加賀守を称し、名は信昌・信生とも。斜陽の龍造寺家を最後まで支えた名参謀。今山の合戦において大友軍六万の大軍を佐嘉城に迎え撃ち、奇襲で先手大将大友親貞を討ち取ったことは有名。主家の滅亡後には巧みに秀吉・家康に取り入り、関ヶ原では東軍に属した。龍造寺隆信の戦死以来、事実上龍造寺氏に代わって佐嘉を支配、龍造寺高房没後は名実共に佐嘉藩主となった。
写真は佐賀市の高伝寺にある直茂の墓(向かって左)で、法名は「高傳寺殿日峯宗智大居士」。右側の自然石は継室・陽泰院の墓。

BACK  TOP  HOME