佐々成政の墓

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佐々成政(さっさ なりまさ)  1539〜1588

通称内蔵助。信長の重臣で、本能寺の変後は柴田勝家に属し富山城を預かる。勝家と同じく秀吉嫌いで知られ、勝家滅亡後に秀吉に降伏。肥後を任されたが失政により一揆が蜂起、鎮圧に失敗して秀吉からその罪を咎められ摂津尼ヶ崎にて切腹した。
写真は終焉の地・兵庫県尼崎市の法園寺にある成政の墓で、京都大徳寺にも彼の墓がある。法名は「成政寺庭月洞閑」。

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