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長宗我部信親
(ちょうそかべ のぶちか) 1565〜1586
元親の嫡子で幼名千雄丸のち弥三郎を称す。名の「信」は織田信長からの拝領。秀吉の九州征伐の際、十河存保とともに島津軍と豊後戸次川において戦う。しかし軍監の仙石秀久が逃亡するなど自軍の命令伝達系統が機能せず、敵方も称賛したほどの奮戦も虚しく二十二歳の若さで戦死。その手には信長から贈られた名刀・左文字が握られていたという。
写真は高知市の雪渓寺にある信親の墓で、法名は「天甫寺常舜禅定門」。
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