下野大田原家の墓

☆関連武将☆

太田原資清(おおたわら すけきよ)1486〜1560

備前守。胤清の子で下野国大田原(前室)城主。1518年に那須衆との戦いに敗れて一時出家するが、1542年再び還俗、大関増次を滅ぼし大俵氏を興す。この後の大関氏は資清の長子高増に継がせた。那須七騎の一人に数えられる勇将。

太田原晴清(おおたわら はるきよ)1567〜1631

備前守。資清の孫(縄清の子)で下野国大田原城主。那須氏に仕えていたが、秀吉の小田原攻めの際にいち早く参陣、所領を安堵された。家康の会津征伐時には居城で上杉勢の南下に備え、大坂の陣の際は本多正信の麾下に属して活躍した。


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