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毛利興元
(もうり おきもと) 1493〜1516
弘元の長男で安芸吉田荘地頭職。元就の兄。幼名幸千代丸のち治部少輔。明応九年、八歳で父弘元より本領以下を譲られる。永正四年に大内義興が烏帽子親となって元服、のち足利義稙を奉じて上洛した義興に従い、山城船岡山の戦いで活躍した。永正十三年八月二十五日、酒害により二十四歳の若さで没した。
写真は広島県安芸高田市の吉田郡山城跡毛利家墓所(洞春寺跡)にある興元の墓で、同所には息子の幸松丸や隆元夫人の墓がある。法名は「秀岳院殿常松禅定門」。
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