☆関連人物☆ 大村益次郎(おおむら ますじろう) 1824〜1869 周防吉敷郡鋳銭司(すせんじ)村の医師・村田孝益の長男。初め村田惣太郎のち蔵六。防府三田尻の梅田幽斎に医学を学び、のち大坂に出て緒方洪庵の適塾に学ぶ。帰郷して村医となるが宇和島藩からの招聘をきっかけに、以後幕府などで西洋兵学・蘭学などの教授を務めた。慶応元年に長州藩上士となり、大村益次郎永敏と改名。第二次長州征伐の際には幕府軍を撃退、また新政府のもとでは陸軍を創設、彰義隊を壊滅させるなど活躍。明治二年九月に京都木屋町で暴漢に襲われ重傷を負い、十一月五日に大坂で死去した。 写真は生まれ故郷の山口市鋳銭司河原(こうら)にある益次郎の墓。 |