☆関連人物☆ 千 利休(せんの りきゅう) 1522〜1591 堺の納屋衆与兵衛の二男。武野紹鴎に入門してわび茶を学び、これを大成させた千家流茶道の祖。また大徳寺で禅を修得、宗易を名乗る。信長や秀吉の茶頭の第一人者として存在したが、その理想とするところが権力者秀吉と大きく異なり、次第に対立。ついに「大徳寺木像事件」で秀吉と衝突し、切腹を命じられた。 写真は大阪府堺市堺区の南宗寺にある利休の墓で、京都市の大徳寺聚光院にも彼の墓がある。 なお、これは利休一門の墓からのクローズアップ画像だが、全体的な画像は こちら へ。 |