☆関連武将☆ 六角義賢(ろっかく よしかた) 1521〜1598 定頼の子。近江国観音寺城主で承禎入道を称す。はじめ将軍義晴・義輝を庇護し三好長慶と戦うが、のち三好・浅井氏とは同盟を結んで信長に徹底抗戦した。しかし結局は敵わず降伏、近江から追放された。政治面では楽市実施の祖と伝えられる。 六角義治(ろっかく よしはる) 1545〜1612 義賢の子。義弼とも。1563年の観音寺騒動(義治の手により重臣後藤賢豊父子を殺害)により支配力を失い、信長の猛攻を支えきれず武田勝頼を頼って逃れた。後に秀吉の御伽衆から秀頼の弓術師範として余生を送ったという。 写真は京都府京田辺市の酬恩庵にある義賢父子の墓。酬恩庵は別名一休寺といい、「とんちの一休さん」でおなじみの一休禅師の墓もここにある。 |