菅沼定芳の墓

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菅沼定芳(すがぬま さだよし)  1587〜1643

定盈の六男。通称左近、従五位下織部正。諱は初め定好。義慶長九年より徳川家康に仕え、秀忠の御手水番となる。同十一年に兄定仍の死去により家督を嗣いで伊勢長島二万石の主となり、大坂の陣で戦功を挙げ元和七年に近江膳所で三万石に加増。寛永十一年にさらに加増されて丹波亀山藩主となり四万一千石を領した。小堀遠州らと交流があり、膳所藩主時代に膳所焼を創始した。
写真は京都府亀岡市の宗堅寺にある定芳の墓で、法名は「大虚院殿前織部正無参圓徹大居士」。

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