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成富茂安
(なりどみ しげやす) 1560〜1634
龍造寺隆信のち鍋島直茂・勝茂の重臣。甲斐守信種の次男で兵庫助を称す。兄久蔵の戦死により家督を嗣いだ。朝鮮役でも先陣を務めるなど戦功も多く、加藤清正からの一万石の誘いを蹴ったエピソードが知られる。のちに鍋島勝茂のもとで佐嘉藩の治水・新田開発事業に多大な功績を収め、名民政家と評された。
写真は佐賀市の本行寺にある茂安の墓(中央)。同寺には幕末に活躍した江藤新平の墓もある。
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