利光宗魚の墓

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利光鑑教(としみつ あきのり)  ? 〜1586

豊後大友氏の一族で名は「かねのり」とも。大分郡鶴賀城(鶴ヶ城・利光城とも)主で武蔵守のち越前入道宗魚と号した。天正十三年には大友宗麟の薦めでキリシタンになったと伝えられる。天正十四年十二月、鶴賀城へ迫った島津家久は降伏勧告をするが宗魚はこれを拒否。壮絶な籠城戦となり、秀吉の援軍仙石・十河・長宗我部勢の到着寸前に敵の矢に射られて戦死した(一説に鉄砲で狙撃とも)。
写真は大分市の成大寺にある鑑教の墓。

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