今井宗久一族の墓

左端が宗久の墓。

☆関連人物☆

今井宗久(いまい そうきゅう)  1520〜1593

出身は近江とも大和ともいわれる堺の商人で、信長と堺衆が対立したときに津田宗及とともに町衆を説得、武力衝突を回避した。以後信長の信頼を得て鉄砲・弾薬の製造に乗り出し巨富を築く。武野紹鴎の門下で女婿、茶道三宗匠の一人として知られる。
写真は大阪府堺市堺区の臨江寺にある、宗久と嫡子宗薫らはじめ一族の墓。法名は「寿林宗久居士」。


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