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大久保忠隣
(おおくぼ ただちか)1553〜1628
忠世の子で通称新十郎、治部少輔のち従五位下相模守。相模国小田原城主。徳川家康の近習を経て秀忠の補佐役に任命される。文禄三年、父忠世の死去により跡を嗣いで小田原城で六万五千石を領すが、慶長十八年に本多正信との政権闘争に敗れて改易、近江で五千石を与えられた。
写真は京都市上京区の本禅寺にある忠隣の墓で、法名は「涼池院殿道白」(墓碑面)。他に東京都北区の大久寺、小田原市の大久寺にも墓がある。
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