☆関連武将☆ 新納忠元(にいろ ただもと) 1526〜1610 加賀守祐久の子で薩摩島津家の重臣。薩摩大口・肥後御船地頭で通称次郎四郎、刑部大輔のち武蔵守を称す。菱刈氏との大口城合戦をはじめ数多くの合戦に戦功を顕わし、「鬼武蔵」と恐れられた。貴久の使者や義久の奏者も務め、また和歌などもよくした文武両道の名将で、「二才咄(にせばなし)格式定目」を定める一方その武勇は秀吉をも感嘆させたという。 写真は鹿児島県大口市にある忠元夫妻の墓で、向かって右奥が忠元、左奥が妻のもの(手前左右は殉死者の宮竹休兵衛と伊地知又十郎)。法名は「耆翁良英庵主」。 |