島津忠長の墓

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島津忠長(しまづ ただなが)  1551〜1610

相州島津氏尚久の子で通称又五郎、図書頭を称す。貴久の甥に当たり、義久・義弘の老中(家老)を務めた宮之城島津氏の祖。永禄十一年の大口攻めを皮切りに、肝付・伊東・大友氏との戦いに活躍、その功により分家出身では唯一人の国老となる。関ヶ原の後、義久の使者として家康のもとに赴いて弁明に務め、薩摩・大隅・日向を安堵された。
写真は鹿児島県宮之城町の宗功寺墓地にある忠長の墓で、法名は「既成宗功庵主」。

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