細川忠興の墓

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細川忠興(ほそかわ ただおき) 1563〜1645

幽斎藤孝の子で幼名熊千代、のち越中守。妻はガラシャ夫人の名で知られる明智光秀の娘・玉。父藤孝に似て時の権力者に上手く取り入り、関ヶ原では東軍に属して活躍、戦功により豊前小倉四十万石の主となる。元和六年に隠居して剃髪、三斎と号した。
写真は熊本市の立田自然公園(泰勝寺跡)にある忠興の墓で、ここは父藤孝夫妻と忠興夫妻の計四つの墓があることから「四つ御廟」と呼ばれる。法名は「松向寺殿前参議三斎宗立大居士」。他に京都市北区の大徳寺高桐院にも彼の墓がある。

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