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鈴木忠重
(すずき ただしげ) 1574〜1658
真田昌幸の家臣で上野名胡桃城代重則の子。通称右近。父重則が名胡桃城を北条方に奪われたため自刃、以後昌幸に引き取られて養育された。のちに昌幸の子信之の信任を得て重臣となり、伏見屋敷留守居役などを務めた。信之の病没後に殉死。
写真は長野市の大鋒寺真田信之墓所にある忠重の墓で、今もなお主君信之の側に寄り添っている。
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