☆関連武将☆ 松平忠吉(まつだいら ただよし) 1580〜1607 徳川家康の四男で母は西郷局、妻は井伊直政の娘。幼名福松のち忠康、従四位下侍従、従三位左近衛権中将、薩摩守。東条松平氏の名跡を嗣ぎ、武蔵忍十万石を経て尾張清洲で五十二万石を領した。関ヶ原合戦の際には岳父井伊直政とともに島津勢と激闘を演じ負傷した。慶長九年頃より病に悩まされ、同十二年三月五日、江戸へ出府しての帰途に芝浦で没した。 写真は愛知県豊田市の隣松寺にある忠吉の墓で、他に名古屋市千種区の性高院、東京都港区の増上寺にも墓がある。法名は「性高院殿憲瑩玄伯」。 |