☆関連武将☆ 龍造寺高房(りゅうぞうじ たかふさ) ? 〜1607 政家の子で肥前龍造寺氏第二十一代当主、隆信の嫡孫。幼名長法師丸、駿河守。天正十八年に父政家が秀吉の命で隠居させられ五歳で家督を嗣ぐが、すでに実権は鍋島直茂の手にあった。その後諸大夫として徳川秀忠に仕えるが慶長十二年春、突如夫人を殺害して自らも切腹を図り、九月六日に没した。龍造寺氏に代わって佐嘉藩主となった鍋島氏に当てつけたように取れるこの事件は、後に巷に流布された「鍋島化け猫騒動」の題材となった。 写真は佐賀市の高伝寺にある高房の墓で、同寺には龍造寺氏と佐賀藩主鍋島氏の墓が整然と並ぶ。法名は「大龍院殿天祐宗春大居士」。 |