島津貴久の墓

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島津貴久(しまづ たかひさ) 1514〜1571

伊作(いざく)島津家忠良の子で、通称又三郎、陸奥守を称す。号は伯囿。知勇兼備の四人の子に恵まれ、本拠地をそれまでの伊集院から内城に移し、家督を義久に譲るまでの間にキリスト教の布教の許可や琉球との貿易奨励など積極的な外交を展開、島津氏の軍事・経済基盤を強固なものにした。
写真は鹿児島市の福昌寺跡島津家墓地にある貴久の宝篋印塔で、法名は「大中良等庵主」。

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