京極高次の墓

☆関連武将☆

京極高次(きょうごく たかつぐ) 1563〜1609

足利義輝・義昭の近習高吉の長男。通称は小兵衛、若狭守・羽柴京極侍従のち大津宰相を称す。本能寺の変の際に明智方に加担し旧領復活を策すが失敗、妹を秀吉の側室に差し出し赦された。関ヶ原では一時西軍に属すが、翻意して大津城に籠城。しかし立花宗茂の猛攻の前に剃髪して開城した。戦後家康より若狭小浜八万五千石を与えられた。
写真は滋賀県山東町の清滝寺徳源院京極家墓所の下段にある高次廟で、上段には父高吉等をはじめ始祖氏信以下十八基の墓碑が整然と一列に並んでいる。法名は「泰雲院殿徹宗道閑」。

BACK  TOP  HOME