竹中重治の墓

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竹中重治(たけなか しげはる) 1544〜1579

元斎藤龍興の家臣で通称半兵衛。のち信長に仕え秀吉に属す。その容貌や的確な状況判断から羽柴家の諸葛孔明と言われ、羽柴秀吉時代の数ある戦功の大半はこの重治の活躍に負うところが大きい。しかし生来病弱だったため、秀吉に従って中国平定出陣中に播磨の陣中で病没した。
写真は没地の兵庫県三木市にある半兵衛の墓で、同市志染(しじみ)町の栄運寺、岐阜県垂井町の 禅幢寺(ぜんとうじ)、滋賀県能登川町の浄土寺などにも彼の墓がある。法名は「深龍水徹」。

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