野一色助義の墓

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野一色助義(のいしき すけよし) 1548〜1600

中村一氏の家臣(家老)で八千石を領す。近江野一色村出身で通称は頼母(助)、名は長頼とも。関ヶ原の際には中村一栄隊の指揮官を務めるが、決戦前日の杭瀬川の戦いにて石田三成家老島左近らの計略に掛かり、奮戦空しく笠木村付近で宇喜多家中の浅賀三左衛門(浅香左馬助)に討ち取られた。
写真は大垣市赤坂西町にある通称「かぶと塚」と呼ばれる助義の墓で、同所には助義の鎧兜も一緒に埋葬されていると伝えられている。

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