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島津朝久
(しまづ ともひさ) ? 〜1593
忠親の子で通称藤二郎、豊後守を称す。豊州家第六代。妻は島津義弘の女(御屋地さま)。大隅平房・市成領主のち日向馬関田(まんがた)地頭。天正六年には日向宮崎を領すが、自身は飯野城にあって耳川合戦に従軍し武功を挙げた。同十四年には鷹取城・筑前岩屋城攻めに従軍。文禄の役にも従い渡海したが、文禄二年九月、巨済島にて病没した。
写真は鹿児島県姶良(あいら)市の総禅寺跡にある朝久の墓。隣には妻「御屋地さま」の墓もある。
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