島津歳久の墓

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島津歳久(しまづ としひさ) 1537〜1592

貴久の三男で義久・義弘の弟。通称又六郎、左衛門督を称す。後の日置島津氏の祖で薩摩祁答院領主、吉田地頭。永禄六年の横川攻め以来数々の戦いで軍功をあげる。秀吉の九州攻めの際に病と称して対面せず、加えて朝鮮役の際に叛乱した梅北一党に家臣が加わっていたことが秀吉の怒りに触れ、義久勢に囲まれ重富(竜ヶ水)で自害した。
写真は鹿児島県姶良(あいら)市の平松神社(心岳寺跡)にある歳久の墓で、法名は「心岳良空大禅伯」。なお、同町には歳久の首実検地「御石山」が、また鍋倉の総禅寺跡には胴体埋葬地跡もある。

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