尼子経久の墓

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尼子経久(あまご つねひさ) 1458〜1541

清定の長子で民部少輔のち伊予守。出雲月山富田(がっさんとだ)城主。個人的には「無欲の人」との評があり、相手が欲しがる物は何でも気前よく与えたというエピソードが残る。初め出雲守護代として京極政経の支配下にあったが、徐々に勢力を伸ばし近隣諸豪族を傘下に組み入れ独立、戦国大名化した。一時は出雲・隠岐・石見・伯耆・美作・備後・備中に勢力を伸ばし、尼子家を山陰の大大名に発展させた名将。
写真は島根県安来市の洞光寺にある経久の墓で、隣には父清定の墓がある。法名は「興国院月叟省心大居士」。

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