池田恒興の墓

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池田恒興(いけだ つねおき)  1536〜1584

恒利の子で名は信輝とも。織田信長の乳兄弟にあたり、信長の旗揚げ以来の宿老。通称勝三郎、紀伊守のち勝入斎と号す。天正八年の荒木村重謀反の際には摂津花隈城を攻略、戦後村重の旧領を与えられた。信長没後は秀吉に従い、大垣城主となる。長久手役の際には長駆して徳川家康の本国三河を衝く奇策「中入れ」を進言、羽柴秀次軍に属して出陣。しかし徳川家康に作戦を見破られて失敗、戦死した。
写真は岐阜県池田町の龍徳寺地内にある恒興の墓で、他に京都市右京区の妙心寺護国院、愛知県長久手町の常照寺、同長久手古戦場公園にも墓や塚がある。法名は「護国院殿雄岳宗英大居士」(護国院)or「前紀州城守雄岳宗英禅定門」(龍興寺)。

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