大友義鑑の墓

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大友義鑑(おおとも よしあき) 1502〜1550

義長の子で豊後大友氏第二十代当主。宗麟の父。豊後・筑後・肥後に及ぶ領国を形成した。天文年間前半より豊前をめぐって大内義隆と戦う。天文十九年、嫡子義鎮を廃して三男塩市丸に家督を嗣がそうとしたが、これに反対する家臣に襲われて負傷(二階崩れ)、二日後に死去した。享年49歳。死に臨んで義鎮に「大友義鑑条々」を遺した。
写真は大分県臼杵市(旧野津町)にある義鑑の墓で、法名は「到明寺殿前匠作兼六州太守松山紹康大禅門神儀」。

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