☆関連武将☆ 足利義晴(あしかが よしはる) 1511〜1550 室町幕府第11代将軍義澄の子で、第12代将軍。亀王丸と称した幼時は播磨白旗城の赤松義村のもとにいたが、大永元(1521)年に父義澄の敵であった管領細川高国に迎えられて将軍位に就いた。しかし細川晴元と三好元長らの抗争に巻き込まれ、元長に追われて近江へ脱出。一旦帰洛するも再び晴元と対立して近江坂本へ逃れ、そのまま常在寺で歿した。 写真は大阪府交野市の義晴地蔵寺にある義晴の墓で、ここには200体にも及ぶ地蔵が祀られている(→こちらに画像あり)。 |