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島津義弘
(しまづ よしひろ) 1535〜1627
義久の弟で島津家第十八代当主。初名は忠平のち義珍(よしたか)を経て義弘と改名。通称又四郎、兵庫頭を称す。戦国史上に名高い猛将で、文禄・慶長の役の際にはその無類の強さから「鬼石曼子」と呼ばれ怖れられた。関ヶ原の際にはわずか千五百の軍勢を率いて参陣、世に「島津の前退」と呼ばれるその敵中突破の凄まじさは今もなお語り継がれる。
写真は鹿児島市の福昌寺跡島津家墓地にある義弘の宝篋印塔で、法名は「松齢自貞」。
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