田中吉政の墓

☆関連武将☆

田中吉政(たなか よしまさ)  1548〜1609

元は農民の出自で、数年で大名にまで出世した「ミニ秀吉」的な異色の武将。関ヶ原の際にはかつての僚友石田三成を自ら捕らえ、その功により三河岡崎十万石から筑後柳川三十二万石の城主に抜擢された。柳川では土木・農政の開発に尽力するが、慶長十四年二月に京都で客死した。
写真は福岡県柳川市の真勝寺本堂真下に位置する吉政の墓で、同寺では本堂自体を吉政の墓とする。法名は「大格院機転道越」。

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