今川義元の墓

☆関連武将☆

今川義元(いまがわ よしもと) 1519〜1560

氏親の三男。太源雪斎に学び、異母兄である玄広恵探(げんこうえたん)との後継ぎ争いに勝ち(花倉の乱)駿河国主に。「海道一の弓取り」といわれ京風文化にも精通していたが、四万の大軍を率いての上洛途中に豪雨の尾張桶狭間で休息中、織田信長勢二千による奇襲を受け戦死。
写真は愛知県豊川市の大聖寺にある義元の胴塚で、他に同県豊明市の 高徳院 、高徳院向かいの 桶狭間古戦場跡 、同県東海市の今川塚、静岡市の臨済寺、東京都杉並区の観泉寺に墓がある。法名は「天沢寺殿四品前札部侍郎秀峰哲公大居士」。

BACK  TOP  HOME