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大内義長
(おおうち よしなが) 1540〜1557
大友晴英。宗麟の弟。大友義鑑と義隆の姉の間に生まれる。初め義隆の意志で大内家への養嗣子とするつもりだったが、天文十四年の実子義尊の誕生で縁組は一旦白紙となる。義隆没後に陶晴賢から迎えられて正式に大内氏を嗣ぐが、毛利氏の侵攻の前に山口から長門勝山城に移り、弘治三年四月三日、長府の長福寺(現・功山寺)で自害した。
写真は山口県下関市の功山寺にある義長の墓で、法名は「春輝院春光龍甫」。
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