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武田義信
(たけだ よしのぶ) 1538〜1567
武田信玄の嫡男で母は公家三条公条(きんえだ)の娘。妻は今川義元の娘。元服時に将軍足利義輝の偏諱を受け義信を名乗る。永禄四年の川中島合戦以来父信玄と対立、永禄八年重臣飯富虎昌らとともに謀反の嫌疑をかけられ虎昌は切腹、義信は東光寺に幽閉され、二年後に自害させられた。
写真は甲府市の東光寺にある義信の墓で、同寺には諏訪頼重の墓もある。法名は「東光寺殿籌山良公大禅門」。
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