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三好義興
(みよし よしおき) 1542〜1563
長慶の子。諱はのち義長と改名。通称孫次郎、筑前守。将軍義輝の御供衆。永禄三年に父長慶が河内飯盛山城へ移ってからは摂津芥川城主となった。長慶唯一の実子で将来を期待されたが、永禄六年八月、芥川城にて二十二歳の若さで病死。死因は黄疸とも側近あるいは松永久秀による毒殺ともいわれる。
写真は大阪府高槻市の霊松寺にある義興の墓で、法名は「瑞応院殿光岳l公大居士」。
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