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相良義滋
(さがら よししげ) 1491〜1546
肥後相良氏十三代長毎の子で十六代当主。八代古麓鷹ヶ峰城主で初め長唯を名乗る。兄瑞堅とともに十五代長定を国外追放した際、長男を養嗣子とする条件で上村頼興の協力を取り付けて家督を嗣ぐことに成功、八代・芦北・球磨三郡を統一した。
写真は人吉市の願成寺相良家墓所にある義滋の墓で、法名は「蓮乗院殿了徳永幸」。
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