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大内義尊
(おおうち よしたか) 1545〜1551
義隆の子。母は義隆が溺愛したと伝える「おさいの方(小槻伊治の娘)」。天文十六年には三歳にして従五位下周防介に叙任される。天文二十(1551)年、陶晴賢(当時は隆房)が反乱を起こし、父義隆とともに長門へ逃れる。しかし九月一日、義隆は自刃に追い込まれて義尊も陶方に捕らえられ、翌日殺された。享年七歳。
写真は山口県長門市の大寧寺にある義尊の墓で、隣には父義隆の墓がある。
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