戦国 "Who am I ?"

入門編その3


 おお、次はわしの番か。しかしまあ便利な世になったものじゃなあ。瞬時にしてわしのつぶやきが全国各地で見られるとは。では少しばかりわしの話を聞いてもらおうかの。

 わしが生まれたのは天文のころじゃった。我が家はじじさまが偉いお人でな、亡くなったのちにも家臣達に慕われておったなあ。わしも子供の頃よく唱えさせられたもんじゃが、武士たるものの生きる道を誰にもわかりやすい言葉で歌にして遺してくれたものじゃ。
 少し紹介しようか。「いにしへの道を聞きても唱へても わが行にせずばかひなし」・・・これは冒頭の歌じゃが、これが四十七あっての、心ある武士どもは皆諳んじて教訓としたんじゃよ。この士風はわれらが誇りじゃ。幕末までずっと生き続けたのじゃからなあ。
 少しこのじじさまの陰に隠れるが、親父殿もなかなか優れた武将での、隣近所とは良く戦ったものじゃが、じわじわと勢力を拡大できたのも親父殿のお陰じゃよ。

 あ、そうそう。わしには二歳上の兄者がおっての、この兄者がまた頭の切れる人物で、わしが八十を優に超える歳まで生きられたのも、また畳の上で死ねたのも兄者のお陰と言っても過言ではないわい。
 それと、弟も出来物での、いつぞやの戦いでは少人数で助っ人に行ったと思うたら、なんと敵大将の首を取って来よってびっくりしたものじゃ。それで・・・ここだけの話しじゃぞ。その首を返しに行かせたところ、敵方に受け取りを拒否されて困ったことがあったわ。今となれば遠い昔のことじゃがのう。とにかくわしは良い家臣や肉親に恵まれて幸せじゃった。

 ただ、わしにも思い出したくない悲しいこともある。それはの、息子に先立たれたことと、可愛い甥をわしの身代わりにして死なせてしもうたことじゃ。特にその甥っ子は親父、つまりわしの末の弟に先立たれて以来わしを慕っておっての。わしも我が子のように可愛がったものじゃ。ただ、弟も病死ということになってはおるが、わしにはどうも一服盛られたとしか思えんのじゃ。ま、それはともかく、その甥っ子の死に様が無惨でのう・・・でも、あいつが身代わりにならなければ、わしはたぶんその場で死んでおったじゃろう。戦国の世とは言え、実に不憫なことをしてしもうた・・・。

 だいたいあの戦は何じゃ? いやしくも一軍の大将たる者の陣へ軽輩を差し寄越して馬上で指図させるなぞ、司令官はいったい何様じゃ。あの時点でわしはもう戦う気力をなくしたんじゃよ。だから後は撤退することだけを考えていてのう。決死の敵中突破で軍勢はほとんど全滅したが、付き合いはしておくもんじゃのう、懇意にしている商人に助けられたわい。運が良かったんじゃろうなあ。

 え? もう終わりとね? よかよか。ヒントば出さんでも、もう閲覧者諸賢にはこの言葉でピンと来ておろう。では、おはんも達者でな。


☆さて、この武将は誰でしょう? わかった方は下で照合してみて下さい。

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