おお、二番手はわしか。わしは少し手強いぞ、心してじっくり読むようにの・・・と言っても、わかる人にはすぐわかってしまうんじゃがな。ではよろしいかな。 わしが生まれたのは天文末期のころじゃった。ただ、わしの記録には二つの流れがあってな、それが面白いことに、書かれていることが大きく異なっておるんじゃ。ん? なぜかって? ここはもはや入門編ではないぞ、よーっく考えてみなされ。 わしの親父殿にも二説あっての。ま、この話ではそれはどうでもいいので書きはせんが、わしは叔父の養子となったんじゃ。結論を先に言うとな、わしはある大名家の被官じゃったが、最終的には独立することに成功しての。だから記録が大きく二つに分かれるのじゃよ。わかるかの? 独立した側、つまりこれはわしの子孫とその家臣側のことじゃが、こちらの方はわしを郷土の英雄扱いしておるし、独立された側、つまりこれは旧主筋側じゃが、こちらではわしは極悪非道の恩知らず、ということになっておるようじゃ。このおかげで両藩は江戸期になっても、いや、今でもその風潮が残っておるかもしれんが、犬猿の仲となったそうじゃ。しかし面白いのう。すべて真実はわししか知らない事じゃからな。 それで、わしに好意的な資料の方では、とりあえず邪魔者を消すことに成功したことになっておる。相手は旧主家当主の叔父で郡代を務めておった人物でな、相当のやり手じゃったが、奇襲をかけてなんとか葬ることに成功したわい。しかし、もう一方の記録では、この人物は病死しておるようじゃのう。さて、どっちが本当か、わしはもちろん知っておるがのう。 次に、この人物の息子も郡代職を継いだのじゃが、邪魔になってきてのう。しかし、いきなりでは難しいじゃろう? そこでわしはまず郡代殿の重臣に目を付けてな、これを郡代殿に讒言することによって、まんまと隣国へ追放させたんじゃよ。残るは当の郡代殿だけ。これは宴席をもうけて仕物にかけてやったら、それが見事に成功しての。そうじゃ、一服盛ったんじゃよ。その直後に兵を発しての、まんまと城を手に入れたという寸法よ。我ながら見事な手際じゃったなあ。 それと、後のことじゃが、間一髪の出来事もあったの。独立はすれど、基盤の弱かったわしは、当時日の出の勢いの人物のもとに伺候して本領安堵をせしめたのじゃが、遅れて到着した旧主筋が強硬に抗議してのう。わしも少し冷や汗ものじゃったが、やはり権力者たる者、一度下した裁断を変更するわけにもいかず、無事にわしの所領は天下の公認となったのじゃよ。 あと、例の決戦に参加したときのことじゃ。出陣前に一族でもある重臣のひとりを仕物にかけたんじゃが、あれは少し行き過ぎだったかのう。そやつの謀反の噂があったので、わしの留守中に兵を挙げるととんでもないことになると思って先に手を下したのじゃが、今となっては気の毒じゃったのう。同じ一族でもあったからのう。許せ、金吾よ。 ん、わしの最期はどうだったかって? わしはこの決戦には参加して主戦場近くの城を攻めたりしたんじゃが、このサイトの定義する「戦国最後の合戦」には参加しておらん。その前に滞在先の京でくたばってしもうての・・・。 うん? もう終わりか? わしの地元もな、ちと端っこで寒いところじゃが、ぜひ一度足を向けてみなされ。おいしい果物があるでな。では、また会える日まで、しばしさらばじゃ。 |
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