おお、四番バッターか、光栄じゃな。このあたりからは少し語り方にも気を付けにゃいかんのう。どれ、始めるとするか。 まず初めに断っておくが、わしは大名ではないぞ。え、それならわからんだと? いやいやどうして、わしは一介の武将じゃがなかなか人気者での。そうよな、やはりその最期が同情的だったのじゃろうなあ。しかしあの戦は自殺と同じじゃったのう。 わしはの、はじめはさる偉い大名の近習やら使い番をしておったのじゃが、次第に御屋形様に気に入られてのう。その頃は別姓を名乗っておったのじゃが、ある事件がきっかけで今こうして広く知られているこの姓に改めたのじゃよ。その事件とは何かじゃと? よしよし、これから簡単に説明するとしようかの。 一言で言うと、わしには有能な兄がおったのじゃが、その兄が殺されてしもうてな。誰に殺されたかって? うーむ、それが・・・御屋形様に殺されたのじゃよ。ま、殺されたと言うより、自害したのじゃが、あれはいたしかたなかったのう。 それはな、御屋形様の嫡男殿が謀反を企てなさったとかでな、わしの兄はその養育係を務めていて首謀者と見られたのじゃよ。これには色々複雑な事情があっての、当時の御屋形様の方針にも少しご無理があったようで、嫡男殿のお考えと対立してしもうて。あの時は家中が動揺してな、わしもヒヤリとしたものじゃよ。嫡男殿も大将の器を備えたお方じゃったがな、しばらく幽閉された後に自害なさってのう。おいたわしいことじゃ。 亡くなった兄も猛将と言ってよい人物でな、わしは後に色鮮やかな騎馬隊を率いたことで知られるようになるんじゃが、ここだけの話、実はこれは兄の発案なんじゃよ。ま、この時は少し揺れたが、すぐ家中も引き締めたのは、さすが御屋形様じゃ。わしは戦国一の大名じゃったと今でも思うておる。そしてこれを機に、わしは今の姓に改め、三百騎の騎馬大将に抜擢されたのじゃよ。 それからは各方面の戦が忙しゅうて。そうそう。あと、わしが落命してしもうた戦のことじゃがな。当時は御屋形様も逝きなされて、跡継ぎ殿が少しご無理をしなさってのう。わしは美濃らと戦を思いとどまるよう必死で説得したんじゃが、お聞き入れなさらんでのう。美濃もその戦で無抵抗のまま討たれてしもうたわ。わしか? わしは鉄炮で吹っ飛ばされてしもうたわい。不覚? いやいや、あの状況下では普通突撃はせんわ。玉砕覚悟の突撃なんじゃよ。ただ、御屋形様にはお詫びせにゃならんのう。ついに瀬田には旗を立てられなんだで・・・。 おや、もう終わりか。ではまだおわかりでない方のために最後にもう一つだけヒントじゃ。わしの亡き後、嬉しいことに井伊直政殿が「伝統(?)」を引き継いでくれたわい。もうわかったじゃろう? ではこの辺でおさらばさせてもらうとするかのう。 |
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