さて、上級編二番手はわしじゃ。わしもなかなか手強いぞ。と言うても、書をちょいと調べるとわかったりもするんじゃがの。ではまいるぞな。 わしは、永禄初期の生まれじゃ。二男に生まれたんじゃが、兄者が戦死してしもうてのう。それで家を嗣いだんじゃが、わしが御屋形様の小姓に取り立てられたきっかけが少し面白うての。ま、聞いて下されや。 あれは御屋形様と東隣の大名との戦じゃった。元亀年間のことじゃが、この大名が大軍で攻め込んできてのう、御屋形様の城を包囲したんじゃ。五ヶ月近く続いたかのう、そのとき敵大名の弟が大将となってやって来おっての、われらの十倍以上の大軍で、すわ総攻撃かという直前のことじゃった。 ところがな、その日の夜、敵は我らを見くびったかして、酒盛りを始めよってのう。これは千載一遇のチャンス、敵は十倍以上、正面から当たってはとても勝ち目がないということで、わが方から左衛門大夫殿が奇襲をかけたんじゃ。左衛門大夫殿とは誰かじゃと? のちの加賀殿じゃよ。わしはのちにこのお方に仕えるんじゃが。ま、それはよい、話を戻すぞ。で、これが見事に成功してな、遠州殿の活躍で敵の総大将の首を挙げたのじゃよ。敵本陣は城の北西にあったのじゃが、脆いもんじゃな。大将が討たれたとたん、総崩れで皆逃げ去ってしもうたわ。 わしはこのとき従軍を申し込んだのじゃが、まだ十一だったから許されなんだ。その代わり、親父殿の後について敵味方の動きをじっと見ておったところ、御屋形様にえろう褒められてな。それで、「こやつは見込みがある」というわけで小姓にしていただいたのじゃよ。ただ、御屋形様が後にあのような最期を遂げられるとは、わしも思わなんだぞ。首を取られてしまうとはのう・・・。 初陣は十七、それ以後は我ながらよう働いたぞ。異国にも渡ったし、天下分け目の戦にも参加したのう。あ、そうそう、九州のある戦の時なぞ、少し雑人どもの首を取ったくらいで感状を下されたので、返上したことがあったわ。ただこの時は鬼上官殿から黒糸縅の鎧をもろうてな、これは嬉しかったもんじゃ。一万石の誘いを蹴ったこともあったのう。 そのずっと後のことじゃが、天下が落ち着いてからは、わしは土木水利に業績を残してな。長い土手を築いたり、城も結構手がけたもんじゃよ。だから後世民政家としても結構な評価を頂けたのじゃ。これは嬉しいことよのう。 おや、もう終わりか。わしは一切ヒントは出さんので、じっくり考えて下され。それではお暇するとしようかのう。 |
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