戦国 "Who am I ?"

マニア編その1


 さて、最後はマニア編じゃ。ここに出てくる武将はその名の通り、かなりマニアックなので、そのつもりでのう。では早速まいろうかのう。

 わしは天文の終わりの生まれじゃ。ある人物の養子となってから歴史に登場してくるのじゃが、わしの前名は山崎六左衛門というてな、その地方では山崎家は名家として知られておった。「御三家」とも言われておったか、その筆頭の家柄じゃったのう。で、わしの養父殿もじゃが、その兄上が道を極めたお人でのう。ただ、目を患っておられたので家督を弟、つまりわしの養父殿に譲られたのじゃが、今思い出してもこの御仁はすさまじいお人じゃったぞな。
 ところで、わしはさるお方とその息子殿二人の三代にわたってお仕えしたのじゃが、戦働きもさることながら、これとは別の部分というか分野というかで有名じゃったかのう。とは言え、戦国武将であることには間違いないがの。

 では、わしの武勇伝を一つお話ししようか。あれは天正十二年のことじゃった。ある武将が御屋形様の御家老の守る城へ攻めてきおってな、御屋形様は報せを聞いて、取る物も取りあえず救援に駆けつけなさったときのことじゃった。ある渡河地点にさしかかったところ、対岸に敵が出張っておるようでの。御屋形様は斥候を出しなさったのじゃが、その報告は「兵を押し出して待ち受けている」ということでの、そんなはずはないともう一度わしに斥候して来いとの命が下ったんじゃ。
 さてわしが出向いたところ、河には整然と杭が打ち込まれておってな、先の斥候はこれを敵と間違えたのじゃろうなあ。敵の武者ならそんなに整然と動かずにおれるわけはないでの。そこでわしは河の中に馬を入れて念入りに見たところ、やはり敵の軍勢ではなく、急ぎ立ち帰って報告したわい。すると御屋形様はえろう喜んで下さっての、「おまえの見たところこそ事実であろう、武士の手本ともせよ」とまで周りにも仰せられてのう、えろう面目をほどこしたわい。

 おかげでこの戦にも見事勝利を収めたのじゃが、さすがに攻め込んできた御仁も猛将であったのう。ただこの御仁は後に罪を得て腹を切ることになるのじゃが、以前は御屋形様の朋輩、もう少し生きておって欲しかった武将じゃのう。ま、それはともかく、わしは後に武蔵のある城攻めでは先鋒を務め、さらにずっと後の摂津のある城攻めでも部隊を的確に指揮して活躍してのう。おかげ様で大名並の一万三千五百石を拝領できたのは、われながらよう頑張ったと思うておるぞ。

 お、もう終わりかの。ここはマニア級じゃからヒントは出せんが、内緒で一つだけな。わしはある道では名人と呼ばれた人物じゃ。では、またの。


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