![]() 墓の位置は左のマップの赤丸印で、先にも述べたが、この島山は「島内島」である。 ところで、対馬には花崗岩が産出しないそうで、地元長崎県の専門家のお話によると、この墓石は京都北部方面から運ばれた可能性があり、17世紀初め頃の形態のものであろうとのことである。大和や河内でもこの一石五輪塔は室町後半期に多く造られていることから、おそらくこの頃の五輪塔とみて良いものと思われる。 それはさておき、ここまでに京都・奈良・対馬と3ヶ所の左近の墓をご紹介したが(他に陸前高田市の浄土寺にも左近の墓と伝えられるものがある)、その中に左近の遺骨が埋められている墓は存在するのであろうか。非常に気になるところではある。 |