久秀支配下の島氏

松永久秀の本拠・信貴山城の裾に位置する平群谷。永禄二年の久秀侵入後の島氏の動向は不明でしたが、やはり久秀の支配下にあったようです。


久秀支配下の島氏

 永禄二年(1559)八月、松永久秀が大和へ侵入して筒井氏は没落するが、平群谷の島氏はどういう動きをしたのであろうか。
 島氏の領する平群谷は久秀の本拠信貴山城北東麓にあり、位置的に見て久秀からは真っ先に狙われるはずである。筒井城を攻め落として筒井藤勝(順慶)を椿尾上城へと追いやった久秀は、永禄九年に筒井城を和議によって一時手放すが、十一年には再び奪回している。
 久秀は元亀二年八月の辰市合戦で筒井氏に大敗するまで多くの大和国人衆を配下に従えたが、この間の島氏の動向といえば、『多聞院日記』にはわずかに永禄年間後半に先述した「嶋ノ庄屋」と「親父豊前」、元亀年間に十市氏に働きかけた「嶋」が見えるのみである。
 しかし、興福寺一乗院方の記録である『二条宴乗記』永禄十二年正月〜二月条に、以下のような記述が残されていた。

「持宝院より菓子用金銭事、嶋方下代宮部与介方へ申届候てと被申、書状・鈴一対給也」(正月十四日条)
 
「菓子用金銭儀ニ宮部与介へ折紙調持宝院へ遣也」(正月十五日条)
 
「其後、宗識房鈴給。秀顕ヽ使。これハ平群より米取寄被申度間、霜台下代宮部与介へ書状進之候て法隆寺まで送を被付候てと申間則書状遣了」(二月廿三日条)

 島氏の具体的な人物名が見当たらないのが残念だが、「嶋方下代宮部与介」から、宮部与介なる人物が島(氏)方の下代官を務めていること、また「霜台下代宮部与介」から宮部は霜台(松永久秀)の代官であり、「平群より米取寄被申度」「持宝院」と見えることから、島氏が平群谷に在地していて、かつ平群谷は久秀が領有していたことがわかる。つまり、島氏は当時没落してはおらず、平群谷の在地領主として松永方の支配下にあったわけである。

 以上より、永禄十年の庄屋乱入事件が起きた「平郡嶋城」は、場所の特定は別にして松永方の城であることは間違いなく、乱入した「庄屋」は継母や十五才になる子を殺害し、親父の豊前守清国は城から脱出したわけである。
 筒井氏と行動を共にしてきた島氏が当時松永方に属していた以上、こういった内紛が起こりうる可能性は十分考えられよう。


筒井党からの人質

 さて、久秀は当時井戸氏・松蔵氏から人質を取っていたことが記録に見える。

「今日井戸ノムスメ・松蔵権介息久クロウニ入、アエナク指縄ニテシメコロシ、城ノ近辺ニ串二指了」(『多聞院日記』永禄十三年二月廿二日条)
 
「又井戸人質ムスメ八ツニ成を犬クヽリにてシメコロシ、井戸ノ城ノキハニ串ニサシテ置被申候。夜、城へ取入申由。同松蔵権介人質ナンジノ十一ニ成をシメコロシ被申候。奈良口ニ串ニサシテ置被申由」(『二条宴乗記』永禄十三年二月廿二日条)

 久秀は筒井党の国人衆から取った人質を「久クロウニ入」つまり長期間牢に入れ置いていたわけで、多聞山城内には人質を収容する牢屋があった模様である。また井戸氏の娘は処刑後に「井戸ノ城ノキハ」すなわち井戸城の際に晒していることから、井戸氏は在城していたものと考えられる。おそらく当時、井戸氏が何らかの理由で松永氏に背く動きを見せたか察知されたかして人質が処刑されたのであろう。
 その後、井戸城は三月下旬に松永方に攻め落とされて井戸氏は南方へ逃れており、四月には松永方の手により破却された(『多聞院日記』永禄十三年三月二十八日条、四月五日条)。ここに井戸氏は松永方から完全に離れたものとみなされる。

 島氏についても同様に人質を取られていたことが推測されるが、処刑などの記述は見あたらないことから、松永方に従順な態度を示していたのではないかと考えたい。また、辰市合戦前の記録に

「一 昨夜十城ヘ、嶋沙汰トシテ可有引入通ノ處顯現了ト云々、ウソ也、乍去雑説アル故ニ、廿九日歟ニ嶋ハ取退了ト云々」(『多聞院日記』元亀元年四月二十七日条)

と見えるが、別稿で述べる中坊氏の例を考え合わせると、元亀元年四月当時には島氏は筒井氏の配下には復帰しておらず、松永方の立場から十市氏の引き込みを図ったとの解釈も可能であろう。ちなみに十市氏は当時、家中が筒井派と松永派に分かれて内紛状態にあった。

 これらのことから左近本人はともかく、島氏は少なくとも久秀の侵入〜辰市合戦までの間、松永方にあって筒井氏とは別行動をしていたと考えられ、そういった豊前守清国の態度を良しとしない息子の「庄屋」が乱入に及んだとすると、先述の内紛の説明は一応できる。

 久秀の筒井氏攻略は、当時あと一歩のところまで進んでいたようである。しかし国人衆の完全掌握は果たせず、辰市合戦で筒井氏に大敗した後は斜陽の一途をたどることになる。
 
(本稿は大和郡山市教育委員会『筒井城総合調査報告書』所収の拙稿から抜粋して加筆再編集したものです)
※文責:Masa 2004年6月25日作成 本稿の無断転載及び引用を禁じます。


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