☆平塚為広の碑☆
平塚為広の碑
【所在地:関ヶ原町大字藤下】
垂井一万二千石の主・平塚因幡守為広は大谷隊に属していたが、小早川秀秋および脇坂らの寝返りによって苦戦に陥り、奮戦も虚しく戦死した。その直前に大谷吉継のもとに使を派遣し、冥土の土産にとして討ち取った敵の首多数と、辞世「名のためにすつる命は惜しからじ つひにとまらぬうき世と思へば」を送り、併せて「日頃の約束を果たし、今討死します。最早あなたも敵の手に掛からないよう自害して下さい」と申し送った。吉継は使者に「為広殿は武勇と言い、和歌と言い、感ずるに余りあります。早々に自害して追い付き再会しましょう」と述べて辞世「契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも」を託し、程なく自害したという。

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