面白エピソード/名言集

戦国時代の個性派武将たちは実に様々なエピソードや名言を残しました。ここではそれらのうちで、特に興味深いもの・面白いものなどを「名将言行録」より拾い出して選び、ご紹介します。

【豊臣秀吉編】
その1

若き日の秀吉像 【Photo : 中村公園にある若き日の秀吉像】

 秀吉がまだ木下藤吉郎という、信長の草履取りの時代のことであった。

 ある雪の夜、信長が女部屋からの帰りに下駄を履くと、温かくなっていた。「おまえは腰掛けていたな、不届者め」と怒って秀吉を杖で打ったが、秀吉は頑として「腰掛けてはおりません」と言い張る。信長が「温かくなっていたのが何よりの証拠だ」と言うと、秀吉は「寒夜なので、御足が冷えていらっしゃるだろうと思い、背中に入れて温めておりました」と答えた。
 「ではその証拠は何だ」と尋ねられると、秀吉は衣服を脱いだところ、背中に下駄の鼻緒の跡がくっきりとついていたという。信長は感心し、すぐさま彼を草履取りの頭とした。

 他の小説や読み物などでは、秀吉は「懐に信長の草履を入れて温めた」とされているものが多く(というか、ほとんどそうである)、私もそう思っていたが、「名将言行録」では「背に入れて温めた」となっているところが興味深い。


その2

常泉寺の秀吉像
【Photo : 常泉寺(名古屋市中村区)にある秀吉像】

 美濃の斎藤氏との戦いにおいて、秀吉があるとき宇留馬(うるま=現在の鵜沼)城主・大沢次郎左衛門を内応させ、信長の元に連れてきた。

 信長は「この大沢なる者は武勇に秀でた者であるが、心変わりしやすい者で味方として信じるのはどうか。今夜腹を切らせよ」と言った。秀吉は「降参してくる者に腹を切らせては、今後降参してくる者はいなくなります。ここは一つお許しになった方が・・・」と申し上げたが聞き入れられなかった。

 さて、秀吉は大沢の前へ行き、
「これこれの事情で何とも申し訳ないが、ここにいてはあなたの身に危険が起きます。どうか逃げて下さい。ご不審なら私を一緒に連れていって下さい」と刀や脇差しを投げ出して無腰になった上で語った
 大沢は彼の誠意に打たれ、今までの礼を厚く述べ、無事に脱出した。

 この一件を後に伝え聞き、秀吉の配下になりたいと思う者が多くなったという。


その3

 秀吉は信長の忠実な部下として知られているが、その彼が後に信長を評した面白い言葉がある。

 「信長公は勇将なり、良将にあらず。(中略)一度敵せる者は、その憤怒つひに解けずして、悉くその根を断ち、その葉を枯さんとせらる。故に降を誅し、服を戮せられ、寇讐絶することなし。これ量狭く器小なるが故なり。人のために憚らるれども、衆のために愛せられず

 つまり、「信長公は勇将ではあるが、良将ではない。(中略)信長公に一度背いた者は、その者への怒りがいつまでも収まらず、その一族縁者はみな処刑しようとされた。だから降伏する者も殺し、敵討ちは絶えることがなかった。これは器量が狭く人間が小さいからである。人からは恐れられはしても、大衆から愛されはしない」ということである。