ここでは戦国時代を生きた武将たちが合戦に臨んで詠んだ軍歌(合戦の心得などをつづったもの)を、「武者物語」より抜粋してご紹介します。横書きご容赦下さい。 |
荒木村重(あらき むらしげ) 1535〜1586 敵大将けなけて先へかけ出ば 手とをく伏をゝきてねらへよ たびたびに真先にかゝる大将は 敵も味方もはてはうち死 上杉謙信(うえすぎ けんしん) 1530〜1578 ためしさねの人数を持てかせんせば 幾度成とうけてせよせよ 我人数よはきとみての合戦をば 先をしかけてつき立てみよ 織田信長(おだ のぶなが) 1534〜1582 大軍を請はあたりを地焼きして 引きしつまりて神妙に待て 枝城に手間を入すと成なら根ば 城をまきて攻よしよりは 加藤光泰(かとう みつやす) 1537〜1593 先を跡あとを先へと立かゆる 人数つかひぞはらひ退なる 先はさきあとは跡にて跡よりも ちいちいのくをくり退といふ 蒲生氏郷(がもう うじさと) 1556〜1595 武者押はみなそれぞれに奉行あれ 道より外に脇を通すな 敵近く成て人数を立かぬるなりは 中々みるも見ぐるし 武者並のあしあし馬を乗かけて けちらかしても直せいで入る 一万に及ぶ人数はよき人と 法度ならではともはまはらじ 千二千三千まではつかひから 五千の人は手にあまるべし 廿日路も敵はさきにもあらばあれ かりの陣屋の道筋をとれ 足場をも見に行時はつまりつまり 跡に人数を残し置ゆけ 大敵を請ば人数をかまへより 外へ卒爾に出すべからず 何時も人数はひかえ置てよし 出過引込躰は見くるし 若き者敵へ取かけ押時は ひかへ過てもいかゞあるべし 柴田勝家(しばた かついえ) 1522〜1583 敵を請ばとりかけらるゝ水花に よかれあしかれ一合戦せよ つつと入に手痛きことをせぬ敵は 乱れ入ても骨はきるまじ 敵合の近き所の大酒は たかきいやしきしかるべからず 陣どりに成ほどならばやぐらあれ あたりの陣に草を結べよ 焼跡に武者を立ると陣捕と はいてもうめよ池や雪隠 細道やせこや節所は大勢で 突てかゝるとひとりこたへよ だんだんに人数を押と先勢を 立かためずば次をくづすな 備へぞなへ先をさきへと押よせば 功者ひとかさ先にをくべし だんだんを跡を先へと入かへは そなへそなへによきものををけ 持もたす在所なり共鑓入は うらへけのせんこころあてせよ 敵城のまはりを焼て取よれば 敵は出ねと逃るとぞいふ 取懸る初日につよきことせねば 後には敵のへのこかたまり 大小によらず手だては水はるな 合戦をするか城を責べし 小敵も弱敵もたゝ油断すな あなどる故にをちをこそとれ 陣取といふと具足を小屋できて 後の後迄ぬがず共居よ 馬の鞍もとらで置べし何事の 俄にあらんことをしらねば 敵近く野山に陣をとる時は 一方せめて手あきなるべし しよりをば先遠くよりちとりつき 夜々にかまへよ人数だまりを 敵近く竹束付は念を入 引たくられぬきづかひをせよ 水堀や川をしよらはよし篠や しきかけ土をきせきせてよれ 合戦には勝て甲の緒をしめて をふも二の目も場や時による 請てする合戦なりさば二のめには ほねをわすれたはゞとりといふ 舟越はまづ鉄砲をつかはして 其まゝ舟をもどさずとをけ 河越は堤下をも取かため せんくりふねを行通ひせよ 陣取はいづく成共気を付て 日昏(くれ)ぬさきにあたりをみてをけ 敵近き里に陣取よなよなは 面にくわつとかゞり火を焼 敵近き陣取ならは我人数 夜中替りに張番をゝけ 敵の地へはたらく時は夜をこめて 明ぬ先より放火をばせよ よの内は人数をしもかたまりて 武者をたてつゝ跡をやきやき 敗軍の人落たまる城ならば 息をつかせず責てあつかひ 退口の大事なりせばかへす共 ふみ出さずにねぢむきてのけ 退口をかへしかへして退ならば つゐには敵にしてとらるべし 敵の退所へ付はくゐつきて をはゞ逃たり逃はをふへし 退口に追越味方うたるゝと 引かたまりて突たてゝのけ 大事なる退口にして無人なる 時は夜ふかく出てのくべし 大事なる退口なりと多人数は 夜こしらへて明はなれのけ 退口の大事なりせばよき鉄砲 又れきれきを跡にのこせよ 大敵の無人成時しかゝらば かしらへのせてつゐてかゝれよ 仕寄する城後巻敵のせは 土手塀柵を前後丈夫に 後巻の敵にむかひて合戦すな 人数出さすさし守り居よ 武田信玄(たけだ しんげん) 1521〜1573 軍には物見なくては大将の 石をいだきて淵に入るなり 一戦の日取時取さし除き 物見をかけてかねてはからへ 徳川家康(とくがわ いえやす) 1542〜1624 又敵へしよりをするときつらしく 突ていでむと心得てせよ 敵へよせは大事大事と心得て 合戦をむねにあてゝ近よれ 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし) 1536〜1598 山を越敵地へ入とつまりつまり 丈夫に城をこしらへてをせ 鑓下にぬき刀にてこたへても 鑓成けりと和田殿のいふ 蜂須賀家政(はちすか いえまさ)1558〜1638 後巻はしづと先手も押へ置 旗本ちかく成てしかけよ 後巻はやきをそきもしほ相の はづれぬやうに切かゝるべし 敵ちかく陣を張なば水よりも 夜の目当をもつぱらにせよ 北条氏康(ほうじょう うじやす)1515〜1571 夜軍は功のゆかねばしかけても 味方討して損となるべし 夜軍はただ相印あひことば 敵と味方のわけをあらせよ 宮部継潤(みやべ けいじゅん) 1528〜1599 堺目の城は引こみこしらへよ 出過たるはあしきとそいふ 和田惟政(わだ これまさ) 1532〜1573 軍兵のつかぬに人の馬鑓を 入ば自身でかゝれとぞ思ふ |