西暦 | 和暦 | 日付 | 事績 |
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1478 | 文明10 | 8月 | 幕府が興福寺・長谷寺・金峯山寺に政長を助けて義就を討つように命じるが、義就は越智家栄をして奉書を奪い取らせる。 |
1479 | 文明11 | 3/9 | 政長方の十市遠相が義就方に寝返った弟を父遠清とともに殺害、十市城を焼いて東山内へ没落。十市遠相は山辺郡小山戸に、遠清は城上郡小夫(おうぶ)に身を潜める。 ※以後、順尊は福住城にあってゲリラ戦を展開する。 |
9/30 | 牢人した筒井党らの足軽が眉間寺西御門のあたりに乱入、古市勢が出動する。 | ||
1482 | 文明14 | 6/20 | 幕府が興福寺に対して義就の討伐令を下すと、義就方であった鷹山奥父子に続いて片岡氏が帰順する。 |
9/17 | 越智党が沢・秋山・古市氏らと十市郷など筒井方の拠点を焼く。 | ||
12/30 | 「河内引汲衆」すなわち義就方として越智父子 同鳥屋 高田 万歳 吹田 南郷 倶志ラ 立野両方 竜田 戒重 小泉両方 楊本両方 庭田両方 潰(須カ)川 豊田 郡山中 古市 山田両方 多田、「大和衆管領方引汲牢人」すなわち政長方の没落した牢人衆として筒井 今市新 丹後庄 小南 市本辻子 小林 瓜生 北院 松立院 郡山辰巳 萩別所 山田城 櫟原 嶋文明十四後七入滅 曾部々々 吉備 相谷 飯高 七條 野興 白土 池内文明十三七廿一討死 十市父子 八田 新賀文明十三七廿一討死 出雲中 萱尾文明十三被切了 楢原 ソカ高田 布施 田原本南 長谷川党 箸尾 金剛寺 小山戸 小夫 福住 福智堂 高樋 興隆寺 無為木津執行 無為佐川 無為番条 典(曲)川 無為窪城 無為高山 無為越(超)昇寺 無為秋篠 無為坂上 大安寺向と見える。 | ||
1483 | 文明15 | 8月 | 義政の執奏により政長に義就討伐の綸旨が下る。 |
9/29 | 越智衆と筒井氏らが河内で戦い、敗れた筒井・十市氏は山内へ没落。箸尾氏は越智方に降伏する。 | ||
1485 | 文明17 | 10/17 | 越智党の山田氏が福住城を攻めるが痛み分けとなる。 |
11/25 | 筒井党が越智方の多田城を攻め落とす。 | ||
1486 | 文明18 | 10/5 | 越智党の多田・筒井党の吐山(はやま)両氏が白石で戦う。堤(越智代官)・古市氏は多田氏に、筒井・十市氏は吐山氏に合力するが、後に多田氏が降伏して吐山氏が勝利する。 |
1487 | 長享1 | 6/6 | 筒井・越智両党に和睦の動きが出る。 |
1488 | 長享2 | 10/18 | 将軍義尚が筒井順尊らに越智家栄討伐の奉書を下す。 |
1489 | 延徳1 | 3/26 | 将軍義尚が出陣先の近江鉤(まがり)の陣で病没する。享年26歳。 |
7/22 | 牢人中の筒井順尊が酒損により京都の宿で没す。享年39歳。長男藤王が跡を嗣ぐ。 | ||
10/18 | 東山内で多田・吐山氏が争い、古市・堤氏が出陣。多田方上笠間氏は没落する。多田氏も年末に自焼没落。 | ||
1490 | 延徳2 | 1/7 | 足利義政が没す。享年56歳。弟義視の子義材(よしき)が後に将軍となる。 |
9/13 | 幕府が興福寺に義就一党の討伐を命じる。 | ||
12/12 | 畠山義就が没す。享年54歳。基家が跡を嗣ぐ。 | ||
1493 | 明応2 | 2/24 | 将軍義材が基家討伐に出陣、河内正覚寺の政長陣に合流する。 |
4/22 | 細川政元が義材を廃し新将軍義遐(義澄)を立てる。(明応の政変) | ||
*4/25 | 政元方が政長を正覚寺に攻める。政長は敗れ自害する。 | ||
5/19 | 越智家栄が一族と大和国人衆を率いて上洛する。顔ぶれは高田 岡 万歳 箸尾 小泉 井戸 楊本 戒重 森屋筒井 大西 郡山中 高山 竜田 片岡 南郷と見える。(越智氏全盛期) | ||
5/21 | 古市澄胤が椿尾・窪城氏らを率いて上洛する。 | ||
1497 | 明応6 | 10/1 | 牢人していた筒井党が蜂起し帰国、上三条善法堂周辺で合戦に及び秋篠・超昇寺・宝来勢が古市方の鹿野薗某を討つ。古市律師と鹿野薗は六日夜に自焼没落。帰国した顔ぶれは「文明八九年より牢人共」として 成身院 筒井 今市新 丹後庄 小南 池田衆少々 平郡(群)嶋 香山 知足院 北院 郡山辰巳 秋(萩)別所 辻子 小林 大安寺向 岸田 高井 興隆寺 笠 箸尾内者少々 姿衆 中坊 楢原 布施及三十余年 、「其後没落衆」として 秋篠 越(超)昇寺 白土 三乃庄 十市 八田 出雲両下司 □(辰カ)市南以下 長谷川党之内少々 慈恩寺 大仏供 と見える。 |
10/8 | 政長の跡を嗣いだ尚順が義豊(基家)を河内高屋城に攻め破り、義豊は山城に退く。呼応して成身院順宣らは越智勢を攻め破り、越智郷を焼く。 | ||
10/27 | 興福寺大乗院が進退窮まった越智父子らを「天罰々々」と評す。 | ||
11/12 | 十市遠治が壺阪寺に越智父子を攻める。 | ||
11/14 | 筒井・超昇寺・秋篠・宝来氏らが古市氏を白毫寺に攻め破り、古市氏は笠置を経て伊賀へ没落する。 | ||
11/23 | 越智家栄が壷阪寺から吉野へ没落する。 | ||
12月 | 長谷寺・釜口・三輪などで徳政を求めて土一揆が蜂起する。十市氏が張本人という。 | ||
1498 | 明応7 | 1/9 | 南都で土一揆が蜂起するが筒井氏がこれを鎮圧する。 |
4/6 | 畠山尚順が片岡城を攻める。片岡氏は自害、竜田・岡氏は没落する。 |